2007年12月31日月曜日

Essence,The Gospel According to St. Mark,Piazza San Marco Venezia


今年一年を象徴する一文字は「」だそうだ。
偽りや裏切りに社会が翻弄されたと言うわけだけれど、僕達はいったい何を信じ、何を期待していたのだろう?
互いに信じ合い生きていくにはお互いに共有できる軌範が必要だが、僕達は自分自身で見て感じて考える事無く、盲目的に法律や常識が共通の軌範となって信頼に答えてくれると思い込んでいる様に感じる。
だが共有すべき事柄の本質は何処にあるのだろう、僕達が見聞きする情報は殆どが経済活動の活性化を誘導する目的を孕んだ物で、本質的生活の豊かさに向かわない。
新しい幸せの形を呈示すると見せかけて、時代に左右されない幸せの形を歪めていないだろうか?
食品の基準を偽装する事を弁護できないが、漫然と何かを信じ、漫然と生活する僕達は何処へむかっているのだろう。
昔は特別な公共の場所にしか無かった様な巨大なテレビジョンやハイビジョン装置、それが家族の幸せをより高める物の様に、あらゆるメディアは強引に訴える。そんな物の無かった頃のほうが余程、幸せを感じる機会は有った筈だ。
僕の知人は、二人の小さな娘にテレビも雑誌も見せないそうだ、語り合ったり一緒に楽器を演奏したりしてい過ごしているのでそういう物を見る暇が無いそうだ。
従って、本当に必要であると感じる物意外は欲しくもならない、本当にしたいと思うこと意外はしたくならない。
これからの僕達に欠かせない物、それは他人と比べる事で価値を感じるのではない、自分自身の本質的幸せの形、そして其れを求める強い意志だと、裏切られたと叫ぶより信頼に答えることを自分自身に問う事だと、私自身に言い聞かせている。
自分自身の幸せの本質は、誰から与えられる事でもない、

2007年12月25日火曜日

TheTwilight Samurai,Amsterdam


劇場に足を運べず観る機会を逸していた「武士の一分」と言う映画をやっと自宅で観る事が出来た。この素晴らしい映画を評論する必要など無いのだが、振り返って僕達は、譲れない一分、死んでも通さなければ為らない一分、を持っているだろうか?と考える。
人間としての一分、を捨ててシステムの中で生き残るだけの人生に為ってはいないだろうか?
武士の一分と言うほどの事ではないが、お金を貰っても引き受けたくない様な仕事はお断りする事も在るが、そんな時、相手の方はかなり驚いた様な態度を見せる事がある。
どうも彼らは、経済活動のイデオロギーどおりに事が進まない事を想定していないようだ。
給料を貰っている以上、上司の業務命令を断る事は考えられず、会社を去る事さえ選択肢として念頭にしていない彼らに、自分の信条で仕事や利益を丸々捨ててしまうような判断は信じられない事のようである。
だが、八百屋だって、魚屋だって肉やだって、自分達のプライドを傷つけるような客には「あんたに売る様な品物はないよ!けえってくれ!」と言えるのだ。
だから、互いに尊敬し尊重する社会の雰囲気が大切なのだと思う。
俺は客だぞ、金を欲しくないのか!的な態度が蔓延する今(そもそも、一般庶民が一寸所得が高い程度で、セレブリティを気取る等その最もたる部分だ)、お金ではない自分の一分こそが大切なのだな。
写真は、アムステルダム市内に貼られた「たそがれ清兵衛」のポスター、外国人には「ラストサムライ」等ではなく此方を観て頂きたいと切に願っている。

Couple of years ago, “Last Samurai” by Hollywood almost received Academy Award. The digest spoke highly of the movie on how it depicts the heart of Japan, yet I was very disappointed to see Hollywood-ized oriental warriors. It’s only a Japanese version of “Dances with Wolves”, Native Indians changed their leathers & feathers into kimonos & katanas. If you are in doubt, please watch “The Twilight Samurai”. A hero isn’t necessary a Shogun…

2007年12月22日土曜日

Silent Night,Paris


以前はクルシミマス等と駄洒落を言って喘ぎながら迎える事の多かったクリスマスも今年は、締め切りなどに悩まされる事無く静かに迎える事になりそうだ。
バブルの頃は過剰な忘年会が意味無く沢山在って、盛り場に行けば、酔ってドンチャン騒ぎに興じる人で溢れていた。道路工事の赤いパイロンを頭に被ったサンタクロースや、前後不覚の行き倒れトナカイ等も見掛けたものだ。
ロマンチックなクリスマスのイベント等殆ど経験した事の無い僕だけど、静かに家で家族と過ごす事が何よりだと思う様になったのは歳を取ったからだろうか。

2007年12月10日月曜日

Nation and a Citizen,Paris


毎日の報道を見聞きしどうしても納得出来ない事は多いのだが、薬害肝炎問題に関して思うと居た堪れない気持ちになる。
リストの放置問題に関して、厚労省調査チーム報告書の「反省すべきだが、責任があるとまでは言い切れない」、厚生省には法的責任は無かったとの内容に私は恐怖を感じる。
国家と国民の間に在る物は何であろうか?愛国心とは単なる趣味の問題ではない、国家とは私達の居場所であり、家であり、家族であり、相互に守るものである筈だ。だからこそ私達は、納税し、社会性を意識した行動を念頭に活動するのである。基本的理念として国家が、主権者である国民を守る前提を思えば法整備の問題で基本理念に背く等正に本末転倒以外の何者でもない。
そもそも法律とは何であろうか?
僕は法律とは基本理念に奉仕する物で無ければならない筈だと思っている。法律と理念どちらが優先すべき大切な事か比べるのも馬鹿げている。
ところが、実際には理念に背く、もっと言えば正義に背く者の、言い訳や逃げ道を作る為に法律が働くような事ばかりじゃないか。
社会はどんどん変化して行く、これからもずっと。
法律はその時代の後ろを遥か後ろからヨロヨロと不完全な様で追いかけて来る物に過ぎない。
だとするならば、法整備の遅れを逃げ道に正義に背く者の責任を不問にする様な悲劇をあらゆる分野で繰り返さなければならないのだろうか?僕達はそんな愚か者なのだろうか?
この様な薬害の問題を国家が国民に対しての基本理念を無視して法的な問題としてしか処理できないのならばとてもじゃないが税金なんか納められない。

2007年11月15日木曜日

Life without a car,Amsterdam


僕は「生活の中の不要なストレスを如何に減らすか!」なんて事ばかり考えて居るのだ。
運良く住まいとスタジオの間は3~40分も歩けば着いてしまうので満員電車やバスには乗らない。自宅に車は有るし、スタジオに駐車場もあるが持てないほどの荷物の時意外は自動車も使わない。もし、今の職業で無かったら自動車は持たなかったかもしれない。
その徒歩通勤の道でいつも思う事は、自動車を遠ざければ東京の道も申し分なく楽しい散歩道であり、都市の快適性を損なう最大の問題は過密ではなく、自動車の問題なのだと言う事だ。
密集住宅地の細い裏道も幹線道路に沿って続く緑道も、自動車が通行しない前提で歩く限り景色や騒音に関わらず快適である。ところが車両の通行がある度に路肩によけたり電柱の影に隠れたりしながらの徒歩通勤は本当にストレスを感じる。
アムステルダムやベネチアサンタルチア等車と隔てられた街の散歩の快適さを思うと東京は辛い。多摩川上水緑道は僕の大好きな通勤路で、甲州街道沿いの騒音激しい道だが、車は通らないので快適、下北沢の街も車は入って来ないので快適。でも下北沢の駅周辺は再開発されてしまうそうだ、とても残念!

Believe me, a city life without a car is a paradise…at least for me. I admit that I use my car when I have handful of overloaded bags or am doing my work outside, but only when in an absolute necessity. I used to ride one to get to a place in 10 minutes, but now, I use my feet to get to the place in an hour. What have I achieved from it? Health? Well, yes, but it’s only a part of it. Being free from car brought me a peace of mind, free from never-ending traffic jam, free from constant maintenance/filling gas, free from risks in getting into stupid accidents by riding fast out trying to get out of riding-stress. Now I realize, wide auto-roads kill peaceful walking city life, interrupts communication, tear down old beautiful buildings, disturbs tranquil night, and many more. If you are in doubt, try it for yourself for just one week. It’s a new blissful walking world.

2007年11月13日火曜日

Autumn leaves,Paris


温暖化問題を深刻に感じていても、最近はめっきり秋らしくなって肌寒さも感じる。衣替えも出来ていない為、Gジャンの首元にスカーフをぐるぐる巻きにして誤魔化しながら過ごしている。衣替えの変わりに?スタジオのデスクを整理していると撮影内容不明の未現像フィルムが出てきた。仕事のフィルムなら未現で置くはずないし、NGフィルムなら直ぐに処分しているので、これは遊びで撮ったフィルムである事は解っている。
ラボから届いたフィルムは予想通りの物だった。最近は、全ての撮影をデジタルで行っている為、過去のフィルムの整理以外ルーペを除く事は殆ど無くなってしまったのだが、この様なフィルムは僕自身が撮影したのは確かであるが、一目見ただけでは何時の何が写っているのか解らず、記憶を辿るような状況になった。
不思議な慨視感を楽しむように、フィルムの中の人物の服装や背景に映りこむヒントを探してみたりした。
仕事の上でデジタル化は概ね良い事が多い、しかし結果を要求されない写真(着地点の自由な表現)にとってはどうなんだろうかと考えてしまった。
味が有るとか、やはり画質がいい等アナログを信奉する人は多いが、そんな事は僕にとっては大した事ではなく、この直ぐ見れない事が大切なのだと感じるのだ。
デジタルのプレイバックは仕事の撮影でもなければ大して細かな所は見ないと思う、プレイバック出来ないと思うからファインダーに集中するしかないのだ。
立会いのディレクターやスポンサーはポラしか見ていない、撮れたかどうかは撮影者の孤独な判断だ。
これは胃の痛くなるような事でもあり、只のオペレーターではないと言うプライドでも有ると思う。
この秋風吹くアナログの世界だが、その心は仕舞わずに居よう。

Once, my friend said, “I see no romance in now days. Everything has become so plain and stale.” The kind of sentimental phrase is usually dismissed, yet this wasn’t so as my friend was in his 70s, living long to observe changes through decades. His words lingered as I was looking through negatives which were long forgotten to be developed in my desk drawer. I found them in coincidence and took some days to be developed to see what events took place. They were images of my partner walking through cherry blossoms…maybe two years ago. I see her everyday, but how romantic to look through a loupe and feel the time which had passed between us. Then I realized, romance is about imagination, and imagination needs some idle time to pass by. Remember those days when we were overwhelmed by imagination during the time we waited letters to arrive from our lovers? So today, I sit to write a letter for my friend in congratulating her marriage, instead of an e-mail filled with typical smiley face icons sent instantly.

2007年11月1日木曜日

Uneasy flight,Great Barrier Reef


大阪のヘリ墜落事件は街中でもあり単なる墜落事故以上のインパクトを感じる。
実際、東京だって直ぐ頭の上を爆音を轟かせヘリや小型飛行機が高層ビルと変わらない様な低高度を飛行している。毎日「うるさい!」とは思っていたけれど、あれが突然落ちてくるかもしれないと思うと気分が悪くなる。
実際、ヘリや小型飛行機に撮影の為等、乗り込んで見ると何とも気分の悪い乗り物で、スライディングドアを開けたりして飛行すると飛行機自体が墜落しなくても、何かしらを落としたりする事も有るかも知れないと心配に成る。

タケコプターは夢の乗り物?だけど、本当に実用化されても空高く飛んでみる勇気は無いな。高さ3メートルくらいでショボク飛ぶか、落ちても構わない海の上でも飛んでみようか(夏に限り)

2007年10月24日水曜日

Future dream,Quiron


知り合いの弁護士に、「そもそも何がきっかけで弁護士を目指した訳?」と鮨をつまみながら尋ねると、「そりゃ-、まぁ、子供の頃感じる正義感とかそういうのが有って、いつ決意したとかではないけどね」との返事。そういや、僕だって少年時代には、社会正義と弱者救済に燃える社会派弁護士に成りたかったさ!だけどそれは叶わぬ夢とすぐ気づいた。その次は、社会の矛盾を暴く、社会派ジャーナリストに憧れた。だけど、僕は其れにもならず、社会派でもないカメラマンに成った・・・・・・・
今どきの子供達は、将来の夢をどう語るのだろうか?聞くところによると「金持ちに成りたい!」等と言う子供も少なくないらしいが、自分の子供が「金持ちに成って、贅沢に暮らしたい!」と言ったら僕は目玉が出るほどブッ叩くかも知れない。そんな、情けない、夢も持てない、社会理想や正義への憧れも示さない子供に育ててしまった事を悔やんで僕は泣くかも知れない。一生懸命働いて金持ちに成る事自体は悪い事でもなんでもない、だけど人間としての理想、社会理想を失えば、大企業でさえ企業犯罪を犯す。増してや子供の心に、正義に対しての憧れや、社会理想を思う心を養えなければ僕達の社会に未来は無い。

2007年10月22日月曜日

Agave Parryi var.hauchucensis,Tokyo


去年の冬は、迂闊にも水の遣り過ぎで観葉植物を枯らしてしまった。本当に可哀想なことをしてしまったと悔恨の念に駆られても植物は回復しない。僕は、この枯れた植物を動物を葬るように冷たい土に埋めてやった。思い出しても悲しい出来事だった。それから、僕は強い植物を探して育てることを考え始めた。長い旅にしばしば出かける僕には、繊細な草花や山野草等育てられないし、あんな悲しい思いはもう御免だったから。
写真の植物は、そんな思いから手に入れた物だが本当に強くて、2ヶ月くらい水が無くても枯れたりしない。どんどん花を開くかの様に葉を開いて育つ力強さに感動した。
僕のような人間にはこんな植物がぴったりだ。
それでも、だんだんと寒くなるこの季節心配な気持ちは増すばかりである。

Growing plants seemed to be one of those tedious hobbies, and I had no belief in “healing” power of plants. But now that my office is surrounded by those small green lives, I can no longer disregard their existence. I know it is hilarious to actually say “hello” to each of them, yet I enjoy that weird communication during the morning health check…they do get deseases or get bitten by creatures, you know. I’m still a bit shy to admit it, but, yes, they have become my dear friends!

2007年10月21日日曜日

Chena Hotsprings,Alaska


アラスカ・フェアバンクスからおよそ60マイルの所に位置するチィーナ・ホットスプリングス・リゾートは日本人、中国人、韓国人等のアジア人観光客も温泉とオーロラ観光にやって来る、フェアバンクス観光の目玉の一つである。殆どの観光客は、温泉やオーロラだけを楽しんで大型観光バスで足早に去って行く。此処で行われている貴重な試みに目も向けず!
世界中でエネルギー問題が語られるが、結局の所、「今は潤沢に有るエネルギーをそろそろ節約するべきだ」と言うレベルを大きく超える問題意識は芽生え難い。だが此処は少し事情が違う、電気もガスも水道も電話も引かれていない為、節約以前に「いかにしてエネルギーを産み出すか?」と言うレベルから全てが出発しているのだ。そして此処でエネルギー創成の大きな柱の一つとなっているのはアラスカ大フェアバンクス校の協力により築かれた「ジオサーマル・エネルギー」による発電プラントである。世界的にも最も低温な部類のこの温泉からの発電は熱コンデンサーの技術の賜物だそうだが、私に正確な技術は理解出来ない。しかし、このプラントの説明をしてくれたスタンフォードの学生に因れば、日本は最もジオサーマルエネルギーの利用に適した地域の一つで有るそうだ。
そして、ここでは、リゾート内で消費される野菜の水栽培も行われている。日照が極端に少ない、冬期の低温が尋常ではないこの地では野菜の栽培は特殊な品種改良と栽培技術無くしては何も育たないのだ。それでも、ハウス栽培以上の生産量を確保するため、短い夏の間に収穫が完了出来る様な野菜の品種改良実験は盛んである。食品の国内自給率が限界と言える程低くなっているにも拘らず、低価格のみを食品に求める様な、或は食品の生産者や流通システムに目を向けず、個人の健康志向だけを追求する日本のマーケットには出来ない様な事ばかりだ。
アラスカは今私達がしなければならない事を先んじて行って来た、そうしなければ誰も生き残れなかったから。僕達は生き残れるだろうか・・・・・・・・

“Isn’t this just like The Matrix?”, a young scientist exclaimed in enthusiasm as she was showing us a new greenhouse. All vegetables are hydro-grown with no use of soil and are lighted by mercury lamps alone, though they are perfectly well grown as tomato stems are more than 10 meters long. I wouldn’t have been that surprised by their high-tech facilities if it were located in universities or in cities, however, the house is located at the hot spring resort 50 miles from Fairbanks, Alaska…in the middle of nowhere. The resort uses geo-thermal heat as energy source and is totally self-produced. While other resorts and houses rely on diesel, which can be quite expensive in extreme cold climate, Chena Hot Springs Resort has found the way to survive in self-sustainable energy source, which is also eco-friendly. I was shocked to see how well the technologies are adapted in the total rural area. Why can’t we do this in our cities? Solution is already in our hands.

2007年10月18日木曜日

Open Your Eyes,Tokyo


腕にした、さほどの昔でもなく手に入れた液晶パネルのデジタル時計を見ると表示が全て消えていた。
故障である、どうにもならない只の腕輪になってしまった。僕にとっては高価なこの時計を修理しなければならない。だが、僕はいつの間にか増えてしまった時計を6本も7本も持っているのだ。なんて馬鹿な事を・・・
一度に時計は1個しかしない、時計を一つしか持ってなければ、修理代も馬鹿馬鹿しく思わず必要な物と思えただろう。2個の時計が有ればリスクは二倍、6個の時計は六倍だ、一つの時計しか無ければ故障の時は時計は無くなるが、だからどうしたと言うのだ何でも無い。隣の誰かに「失礼ですが!今、何時でしょうか?」と聞けば良いのである。僕は馬鹿だった知らず知らずのうちに不必要な物と、不必要な悩みを招き入れていたのだ。心穏やかに目を開けば、色々な事が違って見えてくる筈だ。人の話では無く、自分自身の見ている物を澄んだ心で捕らえると、まるで催眠術に掛かっていたかの様に不思議に思えたりする。眼を開け!君の眼は節穴になってはいないか?

It is a great relief to see my pair of shoes get old enough to have them thrown away. As a man leading a modern life surrendered by excessive “stuff”, it is my endeavor to use up before getting rid of them whether they are shoes, T-shirts, watches, pens, shampoo, food, and etc. Materialized life kills environment but I feel it also kills my tranquil mentality as drowning among meaningless objects. Strained by a desire to “own” is like putting on some excessive fat on my body, which disturbs natural body movements. So I tell myself to open my eyes to decide what I really need in my life and slowly get rid of surplus. During this winter, couple of my sweaters should be truly worn out.

2007年10月17日水曜日

Pink tea,Venezia


オバさんが集団になるのとオッサンが集団になるのは全く異なった結末だ。
オバさんの集団は加速度的にオバさん独特の厚かましさを発揮して行くが、オッサンの集団は少年の様になってしまう。
赤ら顔で立ち飲みに集うオジサン達は、部活帰りの高校生がたこ焼き屋に立ち寄るのに余りにも似ている。
練習の辛さを愚痴りながらも楽しかった少年時代を、嫌だなと思いながらも練習に通った夏休みの学校も、実社会の厳しさに比べればなんて事無いが、あの帰り道のノリは同じなのだ。
僕はお酒を飲まないので、居酒屋や立ち飲みには行かないけれど、屈託ないオジサンの(自分だってオジサンなのだと・・・・)笑顔は羨ましくも有る。そして、オバさん軍団の傍若無人振りは恐ろしくも有る!

2007年10月14日日曜日

Angel Creek Lodge,Alaska


フェアバンクスの街から日本人観光客も良く訪れる温泉観光リゾートへ続く一本道沿いの林の中にそのドライブイン「Angel Creek Lodge」はひっそりと建っている。ツアーバスが行き交うルートだがこのドライブインへ立ち寄る観光客は殆どいない。ここへやって来るのはハンター達だけだろう。
雑然とした店の中は、客席も何も構わず大工道具や、修理し掛けの色々な機械等で一杯だ。
薪のストーブが静かに燃え、店の隅でパラボラアンテで受信した衛星放送のテレビが良くあるトークショーを垂れ流している。
アメリカの田舎町に良くあるドライブインの様だが、此処が少し違うのは、電気も水道も電話も郵便もテレビの地上波放送も何も届かない孤立地帯であり一番近い人家まででも20キロは離れている事である。
この店の無口な主人が何故此処に店を持つに至ったのか私は知らない。気難しそうな不器用そうな彼に私は何も聞けなかった。
しかし、散らかった工具や大工道具達は、毎日常に、誰に頼ることなく全てを自分自身で完結させて生活していることを物語っていた。
長閑なその店の佇まいとは裏腹に激しい何かを感じながら僕はその店を後にした・・・・

There is no idle life in Alaska. You need at least a bit of “frontier spirit” to live in this wilder coldness. In warm climate beside a beach, you can just lay down and wait for the next coconut to drop on white sand to quench your thirst, or even ease your hunger by eathing the fruit. But it doesn’t work in Alaska! You’ve always got to get ready for the freezing winter and save up food because plants freeze to death quarter of a year. So during my short stay at the edge of North Pole, my instinct was always giving me signs of warning for survival.

2007年10月7日日曜日

Trick or treat,NewYork


今、街はオレンジ色のカボチャやコミカルなゴーストの飾りで溢れている。
ハロウィンが日本のコマーシャリズムの材料にされたのは然程の昔ではないと思う。
僕はハロウィンの事は良く判らない、Wikipediaに拠れば日本の盆の迎え火、送り火に似ているとの事なんだけど、日本のしっとりとした雰囲気とは対照的にマンハッタンのハロウィンパレードの夜は正に馬鹿騒ぎで、そもそも意味なんて考える気も失せる。
只、意味とは関係なくこの様なお祭りが、子供達やハンディキャッパー達、同性愛者やその他の色々なマイノリティーの存在を自然に示す機会に成るのなら、カボチャだろうが、キュウリだろが構いはしない。宗教・信仰に関わらなく祭りが盛り上がることは必ずしも悪い事ではないが、商業主義の食い物にされるのは勘弁してだな!
バレンタインデー、謎のホワイトデー、クリスマスイブ、お正月、・・・・

2007年10月6日土曜日

実り、館山・千葉


今の時代の異常さを、原油高とか物価上昇等の有り触れた言葉で済まして良いのだろうか?
自動車の燃料は、日本だけでなく世界中で高い、航空機の燃料であるケロシンの高騰で航空運賃もとても高い。
考えてみよう、有限資源である原油を基としている物は全て価格上昇して行くのだ。長期的に見て決して下がる事は無い。当たり前だ、原油はどんどん減って行きいつか枯渇する、値段が下がる根本的理由は無い。
航空会社はどこも経営的に大変苦しい状況の様だ。ところが、自動車業界は史上最高の売り上げを記録する会社も有るのだ。とても不思議だとは思わないかい?世界中の自動車生産者は政治的力を使って世界を歪めている。
とりわけアメリカやヨーロッパも自動車メーカーの不誠実ぶりには嫌気がする。
バイオエタノールを利用して石油会社と共に、化石資源の枯渇や環境破壊の実態をごまかし自分達の営利だけを確保しようとしている。
重ねて言う現在のバイオエタノールは最悪の選択肢で、最もレベルの低い科学技術からなる代用品である。
根本的に従来の内燃機関から移行する必要性が有るのだ。そしてそれは可能な筈である。

食品の価格は高騰し、小麦やトウモロコシ等を主食とする民族地域に深刻な悪影響を現している。
皆、困っている中喜んでいるのは誰だ!ガソリンを作りパンが無くなる!
誰がこんな世界を望んだのだ!根本的技術改革を先送りにして、営利を優先させ自動車業界と石油業界の罪は本当に深い。そして政治的結びつきからこの様な方針を肯定する政治家も!

ガソリン無しで生活している人々は、世界が100人の村なら何人だろうか?85人だろうか、95人だろうか?。そして、小麦やトウモロコシ無しでは生きて行けない人は何人だろう95人だろうか?98人だろうか?
僕達は頭を冷やして考えなければならない。大切な「実り」をどう使うかに付いて。
子供達に残すべき物はパンなのかガソリンなのかに付いて・・・・・

Current interest in use of ethanol fuel as “eco” fuel is quite dubious political talk. Anybody with common sense can understand how “eco-unfriendly” it is to produce ethanol out of corns and sugar canes. In order to balance high fuel demand, farmers around the globe are starting to cutting down trees and using more fuel and water to expand crops. In the end, we are fasing a serious food shortage. It is ridiculous to think how rich nations are stealing other nations food in order to drive cars for shopping malls…and doing more damage to the earth. It’s the total negligence of auto industries in a reluctance to prouduce electric cars.

2007年9月29日土曜日

Gay's Life,Habana


ハバナの外れに広がる人気の無い海岸はゲイピープルの逢い引きの場となっている。これは勿論、公にされている事ではなく実際にそうなっているとしか言い様が無い。日本ではゲイピープルが出会いを求める場所を発展場等と言うそうだが。ここが発展場なのか単なる秘密の花園であるは判らない。
ただ、迷い込んだ僕はその毛が全く無く非常に困ってしまった。
静かな海辺で夕日に照らされながら「見せっこ」を楽しむ彼等はそれはそれで幸せの情景を醸し出していたのは確かである。・・・・・・・・・

2007年9月19日水曜日

Quiet seascape,Alassio



9月も中旬を過ぎると、暑い日でも海はひっそりとして真夏の混雑は嘘の様だ。
祭りの夜の移動遊園地の様に、砂浜に在った海の家や監視小屋、屋台も肌の眩しい水着の女性も姿を消している。
けれども、一人で「海を見たい」と思うような気持ちを満たしてくれるのは、波の音と潮風だけのこんな少し寂しい海ではないかとセンチメンタルにも思ったりするのである。

Summer always ends with sadness. It seems I’m always chasing the endless summer of younger days. Idle hours and days under the burning sun seem to have slipped away, yet I continuously chase for those times to come back. I asked if it’s going to be cold tomorrow, and my partner said, “Well, it’s only going to get colder till the next summer.” Again, the summer has gone by again leaving me only the nostalgia.

2007年9月10日月曜日

9.11,Nassau


あの朝、僕はバハマのナッソーに滞在していた。安ホテルの一階の食堂に寝ぼけまなこで降りて行くとテレビの前で他の宿泊者や従業員が凍り付いた様に画面を見つめている。
画面に映っていたのは黒っぽいビルの壁面から立ち上る黒煙だけだ。見覚えの有るような無い様なその外壁のアップが何を示しているのか未だ僕は気が付かなかった。ホテルの女主人が「小さな飛行機がぶつかったのよ!」と画面を見詰めたまま甲高い声で言った。画面が引いて行くとそれは見慣れたあの巨大ビルディングだった。
その日の夕方には、テレビの報道は新しい戦争が始まったと見出して全米の空港が無期限に閉鎖された事を告げていた、僕はバハマから動けなくなった・・・・・・

毎日、朝起きると空港行き、便の再開を待つ、再開が無いと知るとダウンタウンに戻り港で海を見詰めていた。
子供達が「クオーターを海に投げろ取って見せる!」と言うので「じゃぁ、俺も飛び込む!」と短パン一枚になって一緒に飛び込んだりした。

あれから、世界は変わってしまった様に感じるのは僕だけじゃないと思う、暗雲立ちこめる因縁の9月11日に僕はなぜか、アメリカへの便に乗り込む。

2007年8月30日木曜日

End of Summer,Kakogawa


いつだって夏の終わりは突然だ。ある日心の中でスイッチが切り替わるように「ああ、今年も夏が終わってしまった。」と祭りの終わりのように寂しく思うのだ。
独断で言うならば、少年の思い出は夏の光であるべきだし、男女の出会いも夏は特別にヒートアップする様に思う。去り行く夏の後姿を見送りながら、幾つになってもスタンドバイミーが心の中で流れているのは僕だけじゃない筈だ。

2007年8月25日土曜日

Masara ,India


カレーライスは子供の好きな食べ物の定番だ。カツカレーとかコロッケカレーとかハンバーグカレー等強烈なメニューも日本には沢山ある。カレーはインド料理なのか?
子供の頃インド料理なんて概念は全く無かった。
「今日のランチはインド料理にしようか!」と言って駅前の立ち食いそば屋でカレーライスを食べるという様なジョークは思いも付かなかったのだ。
とにかく、和食、洋食、中華、これが全てであり、カレーライスもナポリタンスパゲッティも洋食という非常に和の文化に支えられたジャンルに放り込まれていた。

本格インドカレーとか、インド人もビックリ!とかインドは日本人にとって馴染み深いものだと思っていたが、インドで食べてた様なインド料理やカレーは全くと言っていいほど日本ではお目に掛からない。
子供の頃食べたカレーより、町のインド料理屋で食べるナンはインドに近づいたと思ったのは勝手な勘違いだった。

インドは一見馴染み深く、そして余りにも遠いのかもしれない。

私の年老いた母親でさえ「私、ナンが好きなの!」等と言ってスーパーで潰れたパンを買ってきたりするのだから。

2007年8月22日水曜日

Candy shop,Sri Lanka



以前から「白い恋人」と言うお土産菓子の事は知っていた。二三度食べた事も有る筈だ。
賞味期限の改ざんを追求されているが、この問題僕には余りにも狭義に論じられている事が不思議だ。
法律的な事はともかくとして、賞味期限は生産者が品質保証する期限であるからして、それを延長して問題が発生した場合の責任を負うと言う事である。回収された商品の品質が保証に足りると判断して期間を延長する事はそんなに理不尽な事なのだろうか?、これらの返品回収された商品を全て、実際の品質問題とは関係なく廃棄してしまう事が正しい道なのだろうか?
もしそうなれば、実際の市場ニーズに返品処分される商品を加えた量の商品を平常的に生産し(はなから捨てるつもりの物を生産する様な物)、そのコストは個々の商品価格に上乗せされる。
つまり、無駄な資源を浪費し生産し、実際の品質劣化の無い商品を大量に産業廃棄物として排出する。
商品価格はその無駄のお陰で高くなる(或は、生産作業に従事する人々の雇用条件が悪化する)。

私達は何を求めているのだ。人参にもタマネギにも消費期限や賞味期限等何処にも書いていない。
食品の期限なんて季節や保管状況でどうにでも変わってしまう、それを健康被害にしないのは現実的に消費する僕達が手にして、食べてみて人が何と言おうと「こりゃ痛んでるなー!」と思えば店に相談してみれば良いのだ。バーコードと共に記された数字を頼りに生きる生活なんて僕には信じられない。
こんな事していれば、いずれ僕達は一億総「裸の王様」になってしまうだろう。

最後にもう一度、痛んでしまった食品は食べてはいけない、だが食品を痛めて捨てない流通や消費の仕組みが重要なのだ。数字やバーコードは僕達を幸せにしてくれない。

2007年8月21日火曜日

If Tokyo city were mountain hut.Daitenjyo



世界がもし100人の村だったらと言う考え方(或は文章)の中に僕達が直面している多くの問題の解決への方法を考えるヒントが有ると思う。具体的流布されている文章云々では無く考え方の問題として大切にしなければならないのだ。見えない問題を実感する為に。
環境の問題も同様だ、問題だ問題だと騒ぐが実感は有るだろうか?

例えば、登山をしない人には判らないかも知れないが、山小屋が僕達の生活する都市や地域の現実を考えさせてくれる。

稜線上に建つ山小屋には水源が無い、天水を集めた物を濾過して使用するか、遥か下方の沢から細いゴムホースでチョロチョロと少しずつ汲み上げるしかない。だから小屋の脇に設置されたタンクや雨樋からの集水装置を見ると、水を一滴も無駄に出来なくなってしまう。
屋根に設置されたソーラーパネルや、小さな風力発電機、それらを蓄電する簡素なシステムを目の当りにすると、夜更かししてテレビ等見る事が如何に代償に見合わない愚行で有るかと考えてしまう。
そうだ、さっさと寝てしまう事が健康にも環境にも社会にも良い事なのだ。

食品の包装やビンやカン等のゴミを自分で背負って何時間も歩いて帰る事を考えてご覧、こんな無意味は無い筈だ。こういったゴミや糞尿等の汚物はコンテナに移し替えてヘリコプターで山から降ろしている。
そしてその作業は過酷で危険だ。そう思うとゴミばかり出る過剰包装は本当に罪深い事だと思う。
トイレは我慢出来ないけど、本当ならば糞尿だってプラスチックの袋に入れて各自持ち帰らなければならないのかも知れない。

そしてこれは山小屋の話だが、実は東京の街だって基本的には同じなのだ。
君の家から出る量のゴミを皆が出す、是等は煙となって消える訳ではない、電気も水も何かを消費している事に変わりはない。
僕達は、東京と言う巨大な山小屋の住人なのだ。

2007年8月19日日曜日

Seven Cardinal Sins,Piazza San Marco Venezia


私の仕事場の在るエリアは東京の中でも美味しいベーカリーが多いことで知られている。
その中で僕は二軒のベーカリーをとても評価しているのだが(独断で言わせて頂ければ特定の種類のパンで日本一だと思う)その2店は、コツコツと頑固な主人が自分で作れるだけのパンを必死に作っているので、雑誌等に良く取り上げられているがデパートの地下に出店したり他店に卸したりは出来る状況ではない。(この2店は朝6時半には開店している、毎朝3時半には作業を始めている)
もし、このベーカリーが上場企業なら、企業の業績を向上させ株主に配当還元したり株の売却利益をもたらす様に、大手の食品メーカーや商社と提携して、全国のデパートに売り場を設けたり、卸したりすべきであって、このような経営状況は容認できないと社長が首になったり、企業価値の割には業績的な事もあり株価が低いと買収されたりするかもしれない。
その結果この美味しいパンはこの世から消えていくか、特別に高価なものになってやはり私達の食卓から無くなるのだ。

かの有名なファンドマネージャーの「儲けちゃ悪いですか!儲けるって悪いことですか?」と言う言葉から思うことは、優秀な頭脳と官僚としての華やかなキャリアを持つ彼にしてこの程度の良識であるのかと言う驚きばかりである。儲けるために儲ける事は悪いのである、間違いなく!法律はルールであり良識とは関係ない、法を犯さないからと言って社会に悪影響を及ぼす行為は糾弾され裁かれるべきなのだ。

僕は彼の様な人々を資本主義原理主義者と言っているが、原理主義者とは本当に始末の悪い人種だ。
一側面からしか世界を見ないばかりか、自分の事を疑ることを知らない。

彼らの7つの大罪が少しでもおさまり、全ての活動が広く世界や未来の為に向かうことを祈る。
そして、頑固親父が思う存分頑固にパンを焼き続ける事が出来ることも。

2007年8月15日水曜日

In dusk,München



第二次世界大戦が終結して60年以上の月日が流れた。
もう身近に戦争体験を若者に伝える事の出来る人も少なくなってしまった。
日常生活の中に嘗てのカタルシスの痕跡を見出すことは出来ず、戦時をテーマにしているドラマや映画も、戦国時代の歴史物語のように見えてしまいがちだ。
国家によって握りつぶされた人権、累々と積み上げられる骸の山とホロコースト、核爆弾の投下と続く苦しみ。
不戦の誓いと言われるが、実際には世界の何処かで紛争や戦争は続いている。
不戦の誓い以前に悲劇の炎は燃え続けているのだ、僕たちが先立ちの話を聞いて、「平和は素晴らしい!」、「平和で良かったね!」、「悲劇を繰り返すな!」等と言っている事は余りにも呑気な平和ボケだ。
如何すればいい?今起きている戦争が全て終結してから不戦の誓いをしよう!
今は、起きている戦争が終結する為に一人一人が出来ること考えよう。
有限資源の上に成り立っている産業に何時までの右肩上がりの成長を期待するような愚行を改めれば、多少は戦争の終結を早められると思う。

年寄りの話に耳を傾けて、昔の暮らしぶりを取り入れるだけでも平和へ近づくかもしれない。

2007年8月10日金曜日

Fragrance of summer,Alassio


遅い梅雨明けだったけど、8月に入って夏らしい暑い日が続いている。
7月のジメジメした長雨の頃でこそ多少エアコンディショナーも使ったけれど、今は仕事場でも、自宅でも全く冷房を使っていない。扇風機が有れば良いのだがこれも使っていない(持っていないので)。35度以上の気温の日に冷房無しの部屋に打ち合わせに呼ばれる人々は大変な災難だが、僕自身は待ちかねた夏の暑さを思う存分楽しんでいる。
省エネだとか、環境保護だとかの意図からではない、本当にこの夏の暑さを楽しんで汗を首から下げたタオルで拭いながら過ごしているのだ。又、数ヵ月後にはコートの襟を立てて過ごしている事を思えばこんなに楽しい事は無いと思うのは、Tシャツと短パンでも仕事場で許される故なのかも。
だけど、素足に感じる焼け付くような日差し、額を伝う汗、気が遠くなるような蝉達の鳴き声、ある時は妖しくもあり倒錯さえ感じる様な夏の魅力は一瞬の後には去ってしまう・・・・・・・

2007年7月31日火曜日

Flat Tire,India



友人の結婚披露宴で新婦がその友人との結婚を決意した時のエピソードが披露された。
二人は周りの友人同僚に内緒でアメリカに自動車旅行に出かけたのだそうだが、旅の途中レンタカーのタイヤがパンクしてしまったのだそうだ。
そこで彼はおもむろにスペアタイヤをカーゴスペースより取り出して、ジャッキアップした車のパンクしたタイヤを交換した、そして旅は何事も無く続き多少面倒な災難だったと思うのみであったそうだ。
だが交換作業をする彼の背中を見守る彼女の心の中では大きな物が動いたらしい。
「こんな危機的状況を冷静に解決出来るこの人は一生付いて行くに相応しい人なんだわ!」と呟いたかどうかは知らないが、結婚を決意したそうだ。その話を聞いた悪友共は「俺だったら4本全部取り替えてやる」等とヤジをとばしていた。めでたしめでたし!!

Hardships often make a trip more memorable than just a comfortable sit & relax one. I can’t forget the kindness of Namibian family when they helped me out of getting stuck in the desert. Completely lost in a strange town, some Indian people guided me to a bus station, which became an unforgettable scene of the country. This is why I can’t stop making spontaneous trips.

2007年7月28日土曜日

Scudetto,Napoli


日本、PK戦の末敗れる 韓国が3位に決定
アジア杯の結果は本当に悲しかった・・・・。4位でシード落ちと言うのも勿論残念だけど、僕の悲しみの理由は他にある。
スポーツに限らずどんな勝負事も勝った者は誇らしく輝いていて、賞賛され美しく絵になる。僕達はそこに夢や希望を重ね合わせるんだ。
だけれども勝負は時の運と言う事もある。僕の望みは「負けて絵になる男に成れよ!」と言う事だ。
全力で戦った末敗れた者の後ろ姿に、勝者の輝き以上の感動を僕はしばしば感じるのだ。
負けて絵になる男に成るのは本当に並大抵の事じゃない、だけどそんな時こそ僕は心のヒーロー像を感じるんだ!

Watching a Japanese soccer player cry on a ground by losing PK was such an effeminate image. When they still have a slight chance in participating the next World Cup, it was no time nor place to show tears while fans still have a strong belief in the team. Losing a game is always bitter, yet it must be the time to show strength. I’m no strong supporter of the old LDP, but it was a noble speech after Katayama faced a defeat on upper class the Upper Class election. His appearace and words were enough to demonstrate his strength as a politician. It is no time for tears, boys!

2007年7月23日月曜日

What is Safe food,India



こんな無責任なブログで堅い話題は困った物だと愚痴りながら、ミートホープ事件に関して思う事が在る。
先ずこの事件は詐欺性を持った悪質な事件で決して社会的に容認される物では無いのだが、消費の構造にも問題が在るのは確かだと思う。実は、この挽肉と言う商品は、一般消費者の潔癖な女性が製造工程を見たら買いたく無くなる様な物もまま在って、色が変わってしまう、水が大量に出る、非常に白っぽい等を経験した方も多いと思う。
昔から肉屋はインチキだ等と言う人も多く不明瞭な部分がとても多いのだが、本来肉や魚、野菜等は工業製品の様に安定的な品質や価格の調整が困難な物なのだ。
嘘をついて豚肉を牛肉に偽装するのは犯罪だが、今回の問題から消費者が考えを改める部分も在ると思う。
とにかく安価に食品を工業製品の様に生産し供給する事の歪みの一つが現れたと言えないだろうか?
先ず、安い物という消費者判断が、「高級品ではないが良質な食品」の生産者の減少を招く。
営業計画ありきの生産性とコストのみ重視される製品の開発、広告戦略にて商品の付加的価値を加える。
安いし楽なので沢山買いますよね、冷凍食品のセール等主婦が殺到してますよね、そして太ったとか、メタボリックだとか愚痴っていますよね。残飯や痛んでしまった食品を捨ててますよね?無理して食べて太ったら返って高く付くとか言って!

因みに写真の品は新聞紙などに包まれて売られるインドのキャンディー!僕の好物!

It is said that safety of food is under its crisis in Japan. Imported or domestic, many of them are contaminated by chemicals and some are mixed with foreign objects that are not informed on labels. No excuses for those fraud, but some of the causes are rooted in the system of mass production of food in this overwhelming capitalism. As people demand for cheaper food at any time and anywhere, it is no wonder that somebody starts to cheat. When one learns how much work is put into the whole cycle of food making, planting seeds for bakery or hunting wild pigs for smoked ham, etc., the abundance of food in markets and restaurants seems to be a miracle. And, there is no miracle, as we know if we really think about it.

2007年7月21日土曜日

Agave attenuata,Tokyo



植物に対しての興味と言えば食べる事ぐらいで、庭いじりしている亡父の背中を冷ややかに見ていたものだ。
それがどう言う訳か最近、植物が面白くなって来てしまった。
もの言わぬ植物の長大な生命の物語を思うと気が遠くなる。然し乍ら一日一日と生きる様は私達と変わらないとも言える。ペット嫌い(動物は好きだ、ペットブームが大嫌い)な僕がこんな事を言うと都合のいい好みをセンチメンタルに言っていると非難されかねないが、理屈ぬきに僕の仕事場には植物の鉢が増えている。
以前、或る有名な盆栽収集家にお目に掛かった折り、若い僕に向かって「私は是等の盆栽を一時期預かっているに過ぎない、私の人生の長さに収まらない文化なのだから」と仰った。
そこに壮大なロマンが有るのは確かだ。

Tiny ficus retusa is growing in a Japanese pottery. Giant agave welcomes guests at my studio. Never till I began growing plants myself, did I ever identified each precious growth of those living things. Any plant was just another “one of them” and I did not care whether it was a ficus or succulent. Just when I made a visit to my mother’s, I realized a ficus retusa sitting beside a washbowl and acclaimed it to be a very beautiful one. But what was a real shock for her and myself was that I had not realized “its” existence for the last seven years! One can be so blind when there is no heart into it.

2007年7月18日水曜日

Which isTerrorist nation?,Cuba


アメリカより長らくテロ支援国家、テロ国家と非難されるキューバ。そして独裁者と言われるフェデル・カストロ。国交を断絶し、自国民の渡航を禁止し、経済制裁を続けるアメリカ。
そしてグアンタナモ基地の問題。この如何なる国の法律も及ばない閉ざされた基地の周辺はキューバの一般地図上には何も記されない空白地帯となっているが、ゲートの向こうの地雷原にアメリカの公に出来ない恥部が潜んでいるのは明白だ。
僕はジャーナリストではないが、キューバを訪ね、地雷原を閉ざすゲートの前まで行ってみた、ハバナ郊外の集合住宅に暮らす一般庶民の家にも上げてもらった。キューバは教育レベルがとても高いため上昇志向の強い若者は富を求めて亡命を試みる者もいるが、殆どのキューバ人はキャピタリズムの問題を理解した上で今のカストロ体制を支持しているように思う。殆どの中南米の国で起きる教育や医療の問題をキューバは克服しているのだ。
アメリカでさえ克服出来ないこの問題(ハリケーンであらわになった、ルイジアナの問題、昨年ルイジアナを訪れた時未だに救済されない貧困層の問題を痛感した)

キューバ革命以降キューバが他国に侵攻したという話は無いが、アメリカの軍事活動や暗殺活動は止む事が無い。真のテロ国家とはどの国かお判りだろうか?


キューバ参考リンク

Visiting Cuba makes you wonder why the American government openly disgraces the nation as one of the terrorist nations. By talking to some Cubans, it is easy to understand that the nation offers adequate liberal education for all. Some of course opposes Castro’s socialism policies (as there are always some that opposes its own policies), yet many of them approves the government by understanding the pros and cons of both capitalism and socialism society. It’s true that people are not “free” as in other nations, yet is it really so bad to be called as a terrorist nation? If not wrong, Cuba has not been attacking other nations for the last couple of decades.

2007年7月15日日曜日

Crop,Stuttgart


お金が存在しなかった太古の昔は、自分や家族、集落の者同士で食べ物も、着る物も、住む事も解決していた筈だ。
物々交換が基本で、生きていく上で必要な物は手に入れるしかなかったと思う。
お金は便利な物で、腐らず、嵩張らず、必要に応じた物に交換できる(つまり買うと言う事)。
でも、これが不幸の始まりだったのだ。食べ物等の収穫は沢山採れ過ぎても無駄になるし保存も困る。
本来、生活に必要な全ての物には、必然最適な量や有り様が在って「充分」という判断が働く物だ。
ところが、数字のみと成ったお金にはそれが無い、在り過ぎは無く、幾ら在っても困らないと考えがちである。
充分であるという判断が付かない中で、人はひたすら数字の積み上げに明け暮れる。
高級自動車や豪邸が欲しくて、数字を積み上げるのか、積み上がった数字を誇示するために高級自動車や豪邸を手に入れるのか、僕には不思議な活動に思える。
本当の収穫とは何の関係も無い数字に世界は支配されてしまったようだ。

2007年7月7日土曜日

Boyhood,La Habana


昨今、子供達は何を七夕の短冊に託すのだろう?
僕の少年時代、輝く未来はに対する期待は大きかった、技術が世界中の不幸を克服し、紛争や戦争、病気の苦しみから解放された世界を夢見ていた。
技術が進み、色々な面倒な事から解放された僕達は、ゆっくりと家族で食事を楽しんだり、のんびり世界中を誰もが旅行をする事が出来ると思っていた。
交通事故や公害を克服した技術や、科学的に安全で健康的な生活が手に入ると思っていた。
鉄腕アトムに示された様な世界は手に入らず、欲しいと思いもしなかった様な物ばかり大企業に売り付けられてやしないだろうか?
悲しいけれど、今の子供達の思い描く未来像が僕には見えない。

2007年7月5日木曜日

El Temple Expiatori de la Sagrada Família,Barcelona



サグラダ・ファミリア崩落の危険?
世界遺産として知られるサグラダ・ファミリアでさえ、開発の風圧を受けているのかと思うと暗澹たる思いが心の中に広がってゆく。僕達にはもう、立ち止まって今、手の中に握られた物を幸せだと満足して大切にしてゆく事は出来ないのだろうか?
右肩上がり経済成長等と言う事が永遠に続く仕組み等有るのだろうか?
これを突き詰めると、結局今さえ良ければ良いと言う立場を、国家や大企業が知らぬ顔をしてとっている様な気がする。

高速鉄道は何の為だろう?誰かの幸せに貢献出来るのだろうか?僕には良く判らない。

El Temple Expiatori de la Sagrada Família is planned to be completed around 2026, which is over a hundred years since Gaudi began to design it. There are numbers of renowned modern architects who has designed bigger, taller or more expensive works than this, yet what is dazzling about el temple is the architect’s passion to engage beyond his life. Most of us live to accomplish something within our lifespan. Plans and dreams are created to arrive at a goal while we still breath. Yet, he created a pradise which would continue to live beyond his death for the passion to create absolute perfection.

2007年7月4日水曜日

Destination of the huge industry,Yokohama


デジタルカメラで撮影していると、フィルムで撮影していた事が不思議に思える程だ。
赤い別珍のレコードクリーナーでLPレコードの埃を取っていのも同様。
VTRもDVDに取って変わられた様に見える。
ところが、自動車は未だガソリンや軽油を燃焼させて、化石資源を浪費したり、燃焼二酸化炭素を大量に放出したりしている。(あのモダンなデザインの自動車だってボディーの中のエンジンで掘り出した油を燃やして走ってるんでスゼ!)
なんと言うローテク!!驚くべき旧態然(電気の時代に、未だオイルランプを使う様な事にも思える)
バイオエタノールが環境の保護に役立つって誰が言ったのだろう?燃焼二酸化炭素は同様に放出されるし、エタノールの原材料の確保の為森林伐採は加速する可能性が高い。
結局の所、自動車業界が基本的な産業構造を変えずに生き残る為のまやかしが、バイオエタノールなのだと言わざるを得ない。ハイブリッド車を経て電気自動車や、その他の基礎技術に移行すれば、カメラ業界の様に生き残れない企業が続出するだろう。僕達は騙されている。大企業は、出来る事・成すべき事を横に置いて資本主義の原理のみを追求している。その行く先は何処なのだろう?


カーボンニュートラル理論には生産地域の開発に因って失われる環境の問題が充分盛り込まれていないと私は考えている。

People think steam locomotives are out of date and consider them as one of the products of low-tech era. But what about cars? Inside that cool modern designed metal, we still burn fuel like locomotives and exhaust gas to heat that engine. It makes me funny that drivers care to constantly update themselves with high-tech gadgets like mobiles and iPods but still drive on vehicles by burning resource.

2007年7月3日火曜日

Once-in-a-lifetime chance,San Giorgio Maggiore Venezia


夕暮れ時のサンマルコ広場で僕は一人の日本人女性に出会った.
彼女は小柄ではあったが、日に焼けたなかなかの美人だった。僕から話しかけたのか、話しかけられたのか忘れてしまった。日本人の女性と話すのが久しぶりだった僕はちょっとドキドキしながら旅の情報を交換したりした。
色々な話をしているうちに、彼女は「私ゴンドラに乗りたいなー」と呟いた。その呟きは妙に艶かしく色っぽかったので、僕は「一緒に今から乗りませんか!」と応える事を求められている様な気分になった。(勝手に!)
美しい夜の帳に包まれたベネチアの街での出会いはまるでドラマのようだったが、その当時引っ込み思案だった僕は彼女を誘えずそのまま別れ、翌朝早くに列車に乗った。
もし、今だったら待ってましたとばかりに誘うのにと思うんだけど。
勝手な妄想ならではの美しさにはかなわないだろうな。

Encountering strangers while traveling can often be romantic, especially when traveling alone. Fled away from the ordinary life into a strange land, one can quickly become a hero/heroin by just exchanging small talks with someone at a café. Yes, I have experienced that myself as well as finding the sweet theatrical story bitterly ends as I set my foot again in the usual land. So I am quite jealous as finding one of my closest friend falling in madly in love with the one in Havana…she chose not to pull those curtains on the stage by flying back to the strange land.

2007年7月2日月曜日

Paris,Paris


女の子は間違いなくフランスが大好きなのだ! と思いたくなる程フランス信奉者の女性は多い。
とりわけ、パリの事となると大変な物で、フランス人よりうんちくしてしまうんじゃないかと言う人もいる。
だけど、パリの魅力は否定出来ない、フランスの首都と言うよりヨーロッパの粋と言うべきかも知れない。
そして、パリはやはり「女の都」だ、女性の心をウキウキさせる様なもので満たされている。
その街並、その食べ物、そのショーウインドウ、僕には判らないフランス語、ちょっと気取ったフランス人達等等・・・・・
僕は、奥さんを伴ってパリを訪れた事は無い、それは余りにもそこに女性を夢中にさせる物が有るから。
そして、余りにもユーロが高いから(笑

2007年7月1日日曜日

Snow scene,Tokyo


今日から7月、そう思うと梅雨明けせずとも夏が来た気になる。
エアコン嫌いの僕は終日窓を開け放って、短パン、Tシャツ生活を送ってている。そう言えば奥さんに頼んで電気バリカンで坊主頭にもした。理由は勿論暑いから。(何かの罰則ではない)
短パン姿で、ソファに寝そべり窓の外を見つめながら、冬の生活に思いが向かった。
全身フリースにダウンのベストを来ていたあの頃と今の落差は大変な物、今じゃ見ているだけで気分が滅入る様なフリースやダウンが必須だった(エアコン嫌いな為)
今も、僕の後ろの窓は全開で涼やかな夜風が吹いている。
今年はいつ迄窓全開で過ごせるだろうか、僕に取ってのは窓の開き具合が夏の訪れ、夏の終わりの象徴かも知れない。

As the summer deeps with its heat and strong sun ray, I long for the snow scene. It’s hard to imagine that I used to quickly change into thick fleece sweatshirt and pants after work and cook nabe (pot cooking) to warm up. Windows were tightly shut and all roll-blinds were down to keep away the chill. Now, they are all open. With ice-cream in my hand, I think of sliding down the snow slopes.

2007年6月25日月曜日

Brainwashing,Tokyo


一頃、カルト教団の信者達が引き起こす問題が議論される中でマインドコントロールに付いて語られていた。
マインドコントロールやもっと激しい外的刺激などによる洗脳はとても恐ろしい事で一般的な生活のスタイルの中に居る限り関係ないと思いがちである。だが本当にそうだろうか?60年代頃は毎日シャンプーで髪を洗う人はそう多くは無かった、人が普通に生活する中で生じる匂いを気にして家中に消臭剤を撒いたりしなかった、豆腐はドンブリで買いに行き、家に風呂が無い人も多く銭湯は当たり前の事だった、そしてそれらに何の問題も不都合も無かった筈だ。いつの間にか僕達は昨日まで青空の見えていたこの世界が明日コンクリートに覆われてしまえば、青空の事を只の思い出にしてしまう。テレビや雑誌の広告のお陰で昨日まで気にもしなかった事が心配になってしまう。洗脳やマインドコントロールは身近に在って僕達の明日を捻じ曲げてしまうかも知れない。

We are so good at forgetting the past. Just recently, the mainroad next to my apartment was covered by overhead highway. Before the construction, I was quite concerned of how the sky will be minimized, which is already minimal amid high business buildings. But now that the site is almost completed, the new scene seems old. It’s hard to remember how big the sky was.

2007年6月24日日曜日

Gilbert & George,München


嘗て、ギルバート&ジョージはパフォーミングアーツ・コンテンポラリーアーツのヒーローの一人だった。
あの頃は、ウォーホールのオリジナルだって30万円で買える物が在った。
現代美術を取り巻く環境は、コマーシャリズムと、より密接に絡み合うようになり、反社会的棘を見せないコマーシャリズムに受け入れられやすい(グッズなんかになってね)作家や作品が幅を利かせている。
商業主義に対する、現代社会に対するテーゼは現代美術の表舞台から鳴りを潜め、緩い時代感覚を象徴するような作家ばかりが、あらゆる表現の主流になり、マーケットばかりが加熱する今のアートシーンはチョット退屈だ。
高潔なる作家なんて、古典、コンテンポラリー問わず時代遅れなのかも知れない。
勿論、アートのコマーシャル化の先鞭を付けたリキテンシュタインやウォーホール、G&Jが高潔だなんて思ってい無い。
クリストみたいなスケールの大きなインスタレーションをする作家も少ないし・・・・・・・・

2007年6月23日土曜日

Tent,Namibia


ナミビアの砂丘を望む荒地の中に建つ小さなテントが僕と妻の唯一のシェルターだった。
そこから、人間の居る最も近い場所でさえ15キロは離れており見渡す限り何も無かった(赤い砂丘以外は!)
勿論、電気も水道も無い、タンクの水だけだ。日中の暑さ、夜間の寒さ、とにかく僕と妻は二人っきりだった。
あの時の事を振り返り妻が言うには「あの時ほど、生きている事の充実感と幸福感に満たされた事は無かった」そうだ。
こんな事を書くと「こいつらは普段からさぞや悲惨な生活をしているからこそ、そんな風に思うのだ」と誹りを受けるかもしれない。
広大なアフリカの台地に小さく見えるテントは余りにも脆弱で頼りなく見えるかも知れないが、豪華なホテルのサンデッキには無い充実感が在るのは確かで、それは行かなければ分からないかも知れない。

Days spent in a tent in a middle of savanna were the most precious time of my life. I felt most fulfilled while I was washing my shirts in a total silence of desert landscape after the quick breakfast. It’s hard to explain why, but at that moment, I felt I was living to just to live. For the first time in my life, I was free of self consciousness. I was so happy to be alive and tears covered my face.

2007年6月22日金曜日

Midsummer day ,Quiron


とうとう夏至がやって来た。
梅雨入り宣言したのもつかの間だが、これから少しずつ日が短くなってゆくかと思うと夏の夜を楽しめるのも今のうちと焦ってしまう。
只、夕涼みに近所を散歩したり、ソフトクリームを片手に公園のベンチで夜風に吹かれたりするだけなんだが、夏の夜はなぜにこんなに浮き浮きするのだろう。
楽しくもあり、妖しくもある妖精の集う夏の夜、子供達は気配を感じてはしゃぎ回るのだろう。

The summer solstice has arrived. From this day, days will get shorter and shorter till the winter solstice. I’ve got to be more greedy to enjoy summer walks while the night breeze is still warm. Animal instinct is on the way!

2007年6月21日木曜日

Le Grand Bleu,Isola di Capri


僕は取り立てたマリンスポーツは何もしない。
ダイビング、ジェットスキー、ヨット、サーフィン何も。
ハードコアなサーファーやヨットマンには敬意を感じているが、少年時代のYMCAキャンプ以来僕には機会が無い。
でも、海は本当に大好きだ。静かな海に身を浸すとき僕はとても大きな何かの一部である事を実感する。
身を委ね、波に打たれ風に吹かれる。そして海の中は静寂が支配している。

都会の生活はあまりにも忙しない。休日であっても心休まる事は無い。夏の海も同様だが、僕は静かなお気に入りの浜辺を必ず訪れて海の静寂を満喫している。

かの映画のモデルとなったジャック・マイヨールは2001年12月イタリア半島中西部に位置するエルバ島で自ら命を絶ったそうである。

Today, I swam an hour in a pool. It’s a bit disappointing that it wasn’t a swim in the ocean, but it was enough to feel like a fish. It’s interesting that after a quarter of an hour, the body starts to live in water that I no longer think of breathing as a walk on a land. Then the body starts to forget that I was doing the “swimming”. Then I realized, synchronized swimmers are not swimming but really dancing as we tap and circle the floor. They are dancing in water.

2007年6月20日水曜日

Food chain,Kamikouchi


食物連鎖を学校で習ったのは何時の事だろう?恐らく、小学生の時だと思う。
連鎖は、動物と植物の間で酸素と二酸化炭素の交換としても行われているし、大気中の成分のバランスは大地と海の間でも連鎖しているらしい。
特定の生物が過剰に増えたり移動が活発化すると生態系が壊れて・・・・・・
毎日ニュースで報じられる様な話題は連鎖で僕達に繋がっている。
政治家や経済界が求める右肩上がりの経済成長、景気浮揚の連鎖は何処に繋がっているのだろう?

We all learnt in school that we, animals, plants, human and etc., are all a part of food chain that none can out grow and win all by itself. So why do we, the modern capitalism worshippers, still believe and hope for the everlasting economic growth?

2007年6月19日火曜日

After school,La Habana


自慢じゃないけど、僕の少年時代だってテレビゲームはあったよ!
ブロック崩し、インベーダー、その他は野球盤とかモノポリー、人生ゲーム、オセロなんかも流行った。
だけど、放課後、部屋に籠って遊ぶ事はそんなに多くはなかった。だって、直ぐ飽きちゃうし。
やっぱり、外でワンパクの限りを尽くして、土手から落ちたり、塀に登ったりするのが楽しかった。
今時の子供たちは、ゲームなんかで飽きないのかなと不思議に思っていた。
考えれば判るけど、大人達が莫大なお金を掛けて子供が中毒になる様な仕掛けを組み入れた商品なのだ、夢中になる様に作られているんだ。そして、「それは良くないから外で遊んだら」なんてたしなめるのも大人だ。
結局、今の子供は金儲けの為のご都合主義の中で壊れてしまうんだよね。

Habana city is alltogether a theatre stage. Everywhere you go to, live cinema starts in front of your eyes. It will start with a boy bouncing a ball against a wall, or an oldman sitting infront of his apartment selling some cigars, or a stunning beauty dancing in hands with a young boy on a street. The city is a total cinematheque.

2007年6月18日月曜日

A picnic,Toredo


昨日の夕食は本当に小さな狭い自宅のアパートのバルコニーで食べた。
優雅でも何でもないんだけれど、黄昏れる町並みを見下ろしながらとても良い気分だった。
屋根の下を出て、空の下で食べる食事は格別だ、弁当だろうが、おむすび、サンドイッチだろうが。
僕はいわゆるグルメではない、でも食べる事を何時も楽しんでいる、それはチョット場所を変えてみたり、初めての料理に挑戦したり。でも一番肝心な事は誰と食べるかなんだろうな。

I planted some trees at my office patio, today. It is amazing how they instantly turn the tasteless man-made space into a natural scenery. Sitting at my chair, it is a real pleasure to gaze at breeze running through thick leaves in a moment of desk work.

2007年6月17日日曜日

Global warming,British Columbia



豆腐屋さんが自転車でやって来るとドンブリやボールを持って豆腐を買ったものだ。
八百屋と言えば新聞紙の袋と決まっていた。牛乳箱に毎朝、瓶詰めの牛乳が配達されて空瓶を回収してくれた。
ビールやコーラだって瓶を返せば預かり金を返してくれた。毎日の買い物に自動車で出かけるなんて人は居なくて、お金持ちの友達の家ではお手伝いさんが買い物に歩いて行っていた。
子供同士で電話で話す事なんて無かった、毎朝学校で会った時に昨日のテレビの話で盛り上がったもの。

今、毎週僕の家のゴミ箱に溜まる不燃ゴミの量は驚くべき物だ。こんなに必要の無い物にお金を支払ってしまったと思うと情けなくなり、又罪悪感に苛まれる。

何で昔に戻れないのか?不合理な矛盾に満ちたショートサーキットした社会と人の心が変わらなければ。
ほんの20〜30年前の事だけど、その頃はそんなに不便で不幸な社会だったと僕には思えない。

Every day, we watch news on global warming and how we are influencing the environment globally, but it is so irritating that most of them do not explain what each one of us can do to make this situation better. What we hear each day is how the Himalaya is melting and how water level is rising in Tubalu, but they are only explaining the outcome and not the cause. It’s easy to know what we can do to save the earth if only we sit and truly think about it…and simply change the way we live each day. Are we all short of time to simply think about it amidth busy money making life cycle?

2007年6月16日土曜日

American,Manhattan



昔は、欧米人(とりわけ白色系の)を見かけると「あなた、アメリカ人でしょ!ハウデュドゥ・・・」なんて話しかけて呆れられたと言う話が多かった。
今は、都内盛り場でもユーロ高のせいかフランス語で話す観光客も多いし、誰彼構わずアメリカ人なんて思う人は少ない筈だ。
国際政治の中で多くの批判を浴びているアメリカだけど、色々な地域を旅して思う事は「アメリカ人、一人一人は本当にフレンドリーで親切な人が多い」と言う事だ。
ヴィムベンダースの「ランド・オブ・プレンティー」と言う映画を見て、旅先で(アメリカ以外でも)出会ったアメリカ人の気さくな人柄や、受けた親切を思い出した。

アメリカは何処へ行くのか?アメリカの素朴な良心が再び光り輝く事を願っている!

2007年6月15日金曜日

In-flight meal,India



デパートで全国駅弁祭りみたいなイベントを催している事がある。
大抵、大変な盛り上がりで人出も凄い。
僕自身各地の名産品が入った弁当に興奮せざるを得ないが、考えように因っては在り来たりの名物料理が箱詰めになった物とも思える。
弁当の喜びとは何処から来るのだろうか。それはやっぱり『開けてビックリ!玉手箱』みたいな期待感と両手に収まる可愛らしさ。(ドカベンでさえ!)
それは、食いしん坊の妻にとっては宝石箱の様に思えるらしい!

Train meals in Japan are so enjoyable that you get to meet wonders of local foods once you open a small bento box. But I never thought it is so in flight meals. They usually ask for the same “beef or chicken?” or “chicken or fish?” questions and I found no surprises…till I traveled to India. Indian flights are so full of spices that you get to meet strong characteristics which are rare to find in this unitary globalized world.

2007年6月14日木曜日

Endless Summer,Heisaura



東京もとうとう梅雨入りしたようだ。少年・佐藤勝治にとっては気象庁の梅雨明け宣言がお正月より待ち焦がれる事だった。水泳の授業が楽しみで、本当は雨が降っても泳ぎたかった。西瓜がとにかく大好きで、1個丸々独り占めするのが夢だった。そんな僕は大学生になっても何だか真っ黒に灼けて日本人離れした姿で夏を過ごしていた。
今でも梅雨が明けるのを待ち焦がれる気持ちは変わらない。西瓜を独り占めしたい気持ちも変わらない。
終わりなき夏だ!

When I was a kid, summer vacation was truly an endless paradise. Sitting idly at my grandmother’s balcony with slices of watermelon, my sister and I used to spend hot sweaty summer hours as if it would never end. Then I suddenly realized summer is the shortest season when I started to work full time. I was quite shocked to realize that I never got sweaty because my body felt the sun only during the short lunch break. From then, I decided to seriously chase the blink of summer. Tank tops and short pants are my dear friends despite this rainy season.

2007年6月13日水曜日

Fisherman,Thailand


にこやかな笑顔で微笑みかける漁師達の今日の収穫はどれほどの物だったのだろう?
細々とさえ見える漁の手法だが彼らの充実した笑顔は生活の豊かさのもう一つの基準を示しているのかも知れない。
海の幸も山の幸も全部取ってしまったら、次からは取れなくなってしまう。必要な分だけ取って残す事が未来をつなげる自然の営みだ。自然が何処まで僕達を許してくれるかは判らない。
只、肥満だ、現代病だと悩む現代人が、必要以上の収穫をしているのは明白な事だ!

I want to live just only to hunt and grow what I need to eat. People, isn’t this modern life too plenty to handle?