
今年一年を象徴する一文字は「偽」だそうだ。
偽りや裏切りに社会が翻弄されたと言うわけだけれど、僕達はいったい何を信じ、何を期待していたのだろう?
互いに信じ合い生きていくにはお互いに共有できる軌範が必要だが、僕達は自分自身で見て感じて考える事無く、盲目的に法律や常識が共通の軌範となって信頼に答えてくれると思い込んでいる様に感じる。
だが共有すべき事柄の本質は何処にあるのだろう、僕達が見聞きする情報は殆どが経済活動の活性化を誘導する目的を孕んだ物で、本質的生活の豊かさに向かわない。
新しい幸せの形を呈示すると見せかけて、時代に左右されない幸せの形を歪めていないだろうか?
食品の基準を偽装する事を弁護できないが、漫然と何かを信じ、漫然と生活する僕達は何処へむかっているのだろう。
昔は特別な公共の場所にしか無かった様な巨大なテレビジョンやハイビジョン装置、それが家族の幸せをより高める物の様に、あらゆるメディアは強引に訴える。そんな物の無かった頃のほうが余程、幸せを感じる機会は有った筈だ。
僕の知人は、二人の小さな娘にテレビも雑誌も見せないそうだ、語り合ったり一緒に楽器を演奏したりしてい過ごしているのでそういう物を見る暇が無いそうだ。
従って、本当に必要であると感じる物意外は欲しくもならない、本当にしたいと思うこと意外はしたくならない。
これからの僕達に欠かせない物、それは他人と比べる事で価値を感じるのではない、自分自身の本質的幸せの形、そして其れを求める強い意志だと、裏切られたと叫ぶより信頼に答えることを自分自身に問う事だと、私自身に言い聞かせている。
自分自身の幸せの本質は、誰から与えられる事でもない、


