2008年4月25日金曜日

Going My Way,Amsterdam



人の心は実のところ物やお金では埋められない。
物やお金で心が満たされるのではなく、其れによって他者から憧れられて居ると言う関係性(周辺の人々や社会全般の他者)を持って満たされているのだろう。
人から大切に思われ礼節を尽くされる事はとても嬉しい事だが、高級車やブランド物で着飾って人から憧れを持って見られていると思うのは「裸の王様」の様で恥ずかしい。
尊大だと憧れられて居ると勝手に思って満足している人もしばしば見かけるが。
でもこれはお互いに尊敬できる友人を作るより簡単な満足方法かもしれない。
だって勝手に思うだけだから・・・・・・・・物はお金で買えるし

だけど友人とは語らう事が出来る。それが人生の最高の楽しみの一つだともしみじみ思う。
その友人がどんな職業境遇でも自分の道を大切に生きている人なら尚さらだ。
相手が僕の事をどう思うかではなく、こんな人達と同じ時代に生まれて友人になれた楽しさと満足はまさにお金で買えないのだから。

2008年4月16日水曜日

Cymbidium.Tokyo


なんと言ったら良いのか、私は自分自身自認するほどの感動屋だ。暑苦しい熱血漢崩れなのかもしれない。
只、毎日の生活の中に有る感動は程度の差こそあれ誰の生活の中にも必ず有る筈で、退屈なんて事は、目の前の感動的事象に気が付いていないだけの事。

特に鮮やかな四季の有る日本は、日々自然の移ろいに感動の連続で、それを生きていく文化風習に又感動、それを守る人々の心に又感動と忙しい。
これは特別な地方の奇祭等ではなく、只通勤路のお屋敷の庭を手入れしている植木屋さんの仕事振りとか、家の近くの骨董屋の店先の生けた花とか、事務所の禿げチョロになった庭木に芽が出てきたとかその程度の事なのです。

そんな感動屋の僕は本当に毎日ウルウルと忙しいのだ。

I dislike the state of being “cool” because it’s often mistaken as being idle, here. Idleness creates nothing. It happens from “hot” emotion. I have no time to whine that nothing is happening in ordinary life. Everything is happening if you let your heart move. Every morning, I let my heart throb by looking at how the light moves around walls of my studio.

2008年4月10日木曜日

Drifting,Toredo


都会の生活や仕事に追い立てられる毎日を離れて旅に出る事それは何を意味しているのだろう。
贅沢なホテルに宿泊し、土地の名物料理に舌づつみを打つ様な旅とは無縁な私にとっての旅は、見知らぬ何処かの国の片田舎で路傍に腰を降ろして物思う様な旅のようだ。
目的も無く彷徨う事が体の疲れを癒してくれる事は殆ど無いが、全てが合理的という美名の内に進んでゆく狂気の連鎖から心を救い上げてくれるのをしみじみと感じる。
合理化・高効率化は何の為に進めるのか?それはいつまで続けるのか?

黄昏の空を静かに眺めながら静かに幸せを思う様な彷徨いの中に確かな何かが有るかも知れない。